【悲報】デジモン主題歌でお馴染みのアニソンシンガー、和田光司さん42歳の若さで永眠 [アニメ・ゲーム]
アニソンシンガー・和田光司さんが2016年4月3日(日)に永眠しました。42歳でした。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
和田光司さんはアニメ「デジモンアドベンチャー」の主題歌「butter-fly」でデビュー。
同楽曲はアニソンでオリコンランキング47位にランクイン。
(当時のアニソン人気を考えれば異例です。)
歌手としての人気も爆発させ、以後はデジモン関連のほぼすべての作品の楽曲に関わります。
また癌の発症により、二度の活動休止をしながらも、その度にステージに復帰しています。
そんな彼の姿を見て、ファンは“不死鳥のアニソンシンガー”と呼んでいました。
今日は歌手として最期まで力強く生き抜いた、和田光司さんのお話です。
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和田光司さんは1994年4月に「butter-fly」でメジャーデビューを果たします。
この楽曲は、アニメ「デジモンアドベンチャー」人気もあって、異例の大ヒット。
彼の代表曲になりました。
その後もデジモン関連の楽曲でヒットを連発します。
【デビュー後の主なヒット曲】
2ndシングル「ターゲット〜赤い衝撃〜」:オリコンランキング35位
(アニメ・デジモンアドベンチャー02主題歌)
4thシングル「The Biggest Dreamer」:オリコンランキング59位
(アニメ・デジモンテイマーズ主題歌)
本人曰く「いただくお仕事の8割はデジモン関連」というほど、デジモンという作品に欠かせない存在となっていました。
デビューからいきなり大ヒット。さらにデジモン人気もあって、続く曲も立て続けにヒット。
歌手として実力、運の両方に恵まれていたいたのだなと僕は思います。
僕もデジモンは好きだったので「butter-fly」はもちろん「ターゲット〜赤い衝撃〜」や「The Biggest Dreamer」はよく知っていますし、今でも聞く曲です。
「butter-fly」は最近、高校野球の応援楽曲に使われてたのを聞きました。
世代を超えて愛される曲になっているんですね。
ところが、順風満帆だったその矢先の2003年・・・
上咽頭癌を患っていることが発覚しました。
上咽頭というのはザックリ言えば、喉の上の方のことで、そこに癌が発症してしまいました。
【図解】
医者からは「5年後の生存率は40%」と宣告されたそうです。
当然、歌手活動を休止します。華々しいデビューから一転しての闘病生活。
人生のあまりの落差の激しさに、どれだけのショックだったかは想像もできません。
2003年の上咽頭癌発症をキッカケとした1度目の活動休止。
それも喉の癌ですので、治療の過程で”声”を失うリスクが高いです。
和田光司さんも一時的に声を失いましたが、運良く声が出るようになりました。
そして療養の末、2016年に歌手活動を再開します。
【1度目の復活】
ただ、手術の影響で以前のパワー溢れる声から、ハスキーで繊細な声になりました。(※)
(※独特の掠れた声とも表現されます)
復帰後は「歌い方が変わった」という声もありました。
しかし本人は気にせず
「もともとこーゆー声が好きだったので、むしろ理想の声を手に入れた」
とコメントしています。
現状をありのまま受け入れ、前を向く力強さを感じますよね。
以後はベストアルバムをリリースするなど、精力的に活動をしていきますが・・・・
2011年、癌の再発により2度目の活動休止に追い込まれます。
医者から「もう大丈夫、完治だよ」と言われた3日後の発覚で、さすがにショックが大きかったそうです。
再発したのは喉ではなく、今度は胸の奥の”縦隔”という場所でした。
手術ができない為、抗がん剤で治療を受けたそうです。
闘病生活の末、一度は治療が完了するも今度は肺に転移。・・・本当に辛かったんだと思います。
当時の和田さんは歌手復帰について、
「興味すらもっていませんでした。このまま引退してもいいくらいに思っていた。今思えば、歌う気力を失っていたんでしょうね」
とコメントしています。
それでも、「使命感で歌うんじゃなくて、歌えるうちに歌えばいい」という友人のアドバイスに励まされ、活動再開を決意。
2013年には2年振りに活動を再開することを発表し、2度目の復活を遂げます。
【2度目の復活】
復帰後は、事務所を影山ヒロノブが代表務める「SOLID VOX」に変更。
「デジモンアドベンチャー tri」関連の曲をリリース。
元気な歌声を再び聞かせてくれました。
リリースした曲はいずれも過去楽曲をリメイクしたものですが、その人気は健在。
「Butter-Fly〜tri.Version〜」はオリコン37位。
「Seven〜tri.Version〜」はオリコンの自身最高記録の25位を記録します。
僕も楽曲は全て聞きました。
和田さんが命を燃やして、懸命に歌っているのが伝わってきました。
以前の物理的な力強さはないのですが、和田さんの”心の強さ”が滲み出ていて、胸に響くものがありました。
まだ聴いてない方はぜひ、聴いてみてほしいです
最期の「Seven〜tri.Version〜」のリリースが2016年3月30日、そしてオリコン自身のオリコン最高記録を更新。
・・・死が迫っているなんて、とても信じられませんよね。
最期の最期まで、歌手として輝いていたと思います。
これからも、和田光司さんの残した歌はいろんな人に勇気をくれるはず。
”Stayしそうイメージを染めた ぎこちない翼でも きっと飛べるさ” (butter-flyより)
・・・たくさんの勇気をありがとうございました。
これからもファンで居続けたいなと、僕は思います。
今日も”雑食”ニュースにきてくれてありがとうございます。
人間の意志の力って本当にすごいなと、あらためて感じさせてくれる人でしたよね。
日々、いろんな人の頑張りから、元気をもらってるんだと思うニュースでした。
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謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
和田光司さんはアニメ「デジモンアドベンチャー」の主題歌「butter-fly」でデビュー。
同楽曲はアニソンでオリコンランキング47位にランクイン。
(当時のアニソン人気を考えれば異例です。)
歌手としての人気も爆発させ、以後はデジモン関連のほぼすべての作品の楽曲に関わります。
また癌の発症により、二度の活動休止をしながらも、その度にステージに復帰しています。
そんな彼の姿を見て、ファンは“不死鳥のアニソンシンガー”と呼んでいました。
今日は歌手として最期まで力強く生き抜いた、和田光司さんのお話です。
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歌手として華々しいデビュー、そして病気による転落
和田光司さんは1994年4月に「butter-fly」でメジャーデビューを果たします。
この楽曲は、アニメ「デジモンアドベンチャー」人気もあって、異例の大ヒット。
彼の代表曲になりました。
その後もデジモン関連の楽曲でヒットを連発します。
【デビュー後の主なヒット曲】
2ndシングル「ターゲット〜赤い衝撃〜」:オリコンランキング35位
(アニメ・デジモンアドベンチャー02主題歌)
4thシングル「The Biggest Dreamer」:オリコンランキング59位
(アニメ・デジモンテイマーズ主題歌)
本人曰く「いただくお仕事の8割はデジモン関連」というほど、デジモンという作品に欠かせない存在となっていました。
デビューからいきなり大ヒット。さらにデジモン人気もあって、続く曲も立て続けにヒット。
歌手として実力、運の両方に恵まれていたいたのだなと僕は思います。
僕もデジモンは好きだったので「butter-fly」はもちろん「ターゲット〜赤い衝撃〜」や「The Biggest Dreamer」はよく知っていますし、今でも聞く曲です。
「butter-fly」は最近、高校野球の応援楽曲に使われてたのを聞きました。
世代を超えて愛される曲になっているんですね。
ところが、順風満帆だったその矢先の2003年・・・
上咽頭癌を患っていることが発覚しました。
上咽頭というのはザックリ言えば、喉の上の方のことで、そこに癌が発症してしまいました。
【図解】
医者からは「5年後の生存率は40%」と宣告されたそうです。
当然、歌手活動を休止します。華々しいデビューから一転しての闘病生活。
人生のあまりの落差の激しさに、どれだけのショックだったかは想像もできません。
不屈の闘志で、歌手として2度復活
2003年の上咽頭癌発症をキッカケとした1度目の活動休止。
それも喉の癌ですので、治療の過程で”声”を失うリスクが高いです。
和田光司さんも一時的に声を失いましたが、運良く声が出るようになりました。
そして療養の末、2016年に歌手活動を再開します。
【1度目の復活】
ただ、手術の影響で以前のパワー溢れる声から、ハスキーで繊細な声になりました。(※)
(※独特の掠れた声とも表現されます)
復帰後は「歌い方が変わった」という声もありました。
しかし本人は気にせず
「もともとこーゆー声が好きだったので、むしろ理想の声を手に入れた」
とコメントしています。
現状をありのまま受け入れ、前を向く力強さを感じますよね。
以後はベストアルバムをリリースするなど、精力的に活動をしていきますが・・・・
2011年、癌の再発により2度目の活動休止に追い込まれます。
医者から「もう大丈夫、完治だよ」と言われた3日後の発覚で、さすがにショックが大きかったそうです。
再発したのは喉ではなく、今度は胸の奥の”縦隔”という場所でした。
手術ができない為、抗がん剤で治療を受けたそうです。
闘病生活の末、一度は治療が完了するも今度は肺に転移。・・・本当に辛かったんだと思います。
当時の和田さんは歌手復帰について、
「興味すらもっていませんでした。このまま引退してもいいくらいに思っていた。今思えば、歌う気力を失っていたんでしょうね」
とコメントしています。
それでも、「使命感で歌うんじゃなくて、歌えるうちに歌えばいい」という友人のアドバイスに励まされ、活動再開を決意。
2013年には2年振りに活動を再開することを発表し、2度目の復活を遂げます。
【2度目の復活】
歌手としての最期の数年間
復帰後は、事務所を影山ヒロノブが代表務める「SOLID VOX」に変更。
「デジモンアドベンチャー tri」関連の曲をリリース。
元気な歌声を再び聞かせてくれました。
リリースした曲はいずれも過去楽曲をリメイクしたものですが、その人気は健在。
「Butter-Fly〜tri.Version〜」はオリコン37位。
「Seven〜tri.Version〜」はオリコンの自身最高記録の25位を記録します。
僕も楽曲は全て聞きました。
和田さんが命を燃やして、懸命に歌っているのが伝わってきました。
以前の物理的な力強さはないのですが、和田さんの”心の強さ”が滲み出ていて、胸に響くものがありました。
まだ聴いてない方はぜひ、聴いてみてほしいです
最期の「Seven〜tri.Version〜」のリリースが2016年3月30日、そしてオリコン自身のオリコン最高記録を更新。
・・・死が迫っているなんて、とても信じられませんよね。
最期の最期まで、歌手として輝いていたと思います。
これからも、和田光司さんの残した歌はいろんな人に勇気をくれるはず。
”Stayしそうイメージを染めた ぎこちない翼でも きっと飛べるさ” (butter-flyより)
・・・たくさんの勇気をありがとうございました。
これからもファンで居続けたいなと、僕は思います。
今日も”雑食”ニュースにきてくれてありがとうございます。
人間の意志の力って本当にすごいなと、あらためて感じさせてくれる人でしたよね。
日々、いろんな人の頑張りから、元気をもらってるんだと思うニュースでした。
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